高校クラブの初めての撮影会で行った青梅線と通学路として使っていた
中央線で撮った電気機関車です。
写真をはじめたのは中学3年昭和45年で当時八王子に住んでいた私はS君から誘われ、八高線の蒸気機関車を取りに行ったのが始めです。雑誌の記事の切り抜きから高麗川までいけばまだ数本運行が残っているということが分かり、高麗川までキハ17に揺られて行きました。結局このときは蒸気機関車にはもうすでに廃止されていたのか、全く会うことはできませんでした。
その後高校に入りクラスの自己紹介があった折に鉄道が好きですと言ったのがきっかけで、I君に誘われなぜか鉄道クラブを作ってしまうことになりました。但しこの時点では鉄道趣味というのは今ほど一般的でなく、鉄道研究会のようなお遊び倶楽部は認められないということになってしまいました。結局地理部ということなら良いという事でクラブ作成の許可が得られました。
その時点で私は鉄道趣味というものにそれほどの知識もなく家にあったハーフサイズのオリンパスのカメラで撮っていました。ところがクラブでハーフの写真を見せたところ思いっきりバカにされてしまい、それまで溜めていた貯金を全て引き出しCANONのFTを買うことになりました。カメラはI君に紹介された新宿のヨドバシカメラで購入することになりました。安く買えるということでヨドバシカメラに行ったのですが、当時は卸商に毛が生えた様な小さな店舗で極めて無愛想で、黄色の値段表が配られていたのが印象的でした。
カメラを買った後は高校・大学と電気機関車・蒸気機関車を中心に写真を撮って行きました。とくに高校の合宿で行った飯田線には魅せられてしまいその後何度通ったか判りません。そして蒸気機関車の廃止後、興味は旧型国電・市電・小型軌道へと移って行きました。
大学卒業後はしばらくは写真取り続けていたのですが、飯田線のED18・19・流電もなくなり小型軌道も続々廃止されていった昭和55年ごろから興味が薄れ、山登りに興味が移行して行き鉄道写真も取らなくなってしまいました。
ここではこのころ撮りためた写真を徐々に紹介していきたいと考えています。鉄道風景とは言いながら車両の写真はほとんどですがその当時の雰囲気を少しでもお伝えできればと考えています。
身延線で使用していたED17です。すでにEF10への置き換えが一部進んででいます。
3重連がなくなった後の伯備線。DD54が入っていた。
山間部の青梅線です。沢井から御嶽・川井まで歩きました。
ED17・18を撮りに飯田線中南部へ行きました。
このホームページの原点ともいうべき長坂スイッチバックです。
田端機関区は上野着発の客車用・山手貨物の電気機関車がたむろしていました。
* タイトルか写真をクリックするとそれぞれのページに移行します。 *
九州遠征その2です。鹿児島機関区・冷水峠・直方機関区・田川線(油須原)
です。
家族旅行の折に、1日だけ関西本線の蒸気機関車を撮りました。
浅草付近の撮影から数か月おいて高校クラブの撮影会と共に撮った写真です。
九州遠征その3です。吉都線から肥薩線大畑の写真です。
時間的には基に戻って伯備線の次です。
ED16と73系が中心の南武線です。
鶴見線の17m車なくなるという事で撮りに行きました。
高校のクラブで飯田線に行きました。
九州遠征その1です。新大阪から唐津線までです。
地元の機関区です。何回か行っていますが昭和46年に2回行っています。
昭和46年西武鉄道の電気機関車を取りに行きました。国鉄払い下げのED10・11・12・36がいました。
昭和50年の山手貨物線の電気機関車を主にして、その他です。