101系による快速。川崎⇔登戸間で6連で運行されていました。南武線の101系はカナリア色でした。
南武線沿線の稲城は梨の産地で、稲城長沼付近には沿線には梨畑広がっていました。4連の101系と73系
団地と畑ですこの付近の畑は、狭くなってはいますがまだ残っているようです。
ED1616
EF15156
南武線は私が大学のとき4年間通学でお世話になった路線です。電車は73系・貨物はED16という茶色がメインな昭和時代における東京の典型的な郊外路線でした。
鶴見線の17m車はすでに廃車になってしまいましたが、まだ中原電車区に鶴見支線用の車輛が若干残っていて、ときとき73系の車輛検収の関係で南武線にも入っていました。
・昭和51年1月にこれを撮りに行ったとき撮った写真
・昭和51年1月に快速を撮りに武蔵小杉近辺で撮った写真
・昭和51年5月に梨の花が咲いた時の写真
等を載せます。毎日乗っていたにもかかわらず南武線の写真はこの時期に立て続けて3回行ったのみでした。南武線の写真はあまり見かけないので、当時の一般的な鉄道風景として意外と大事なのかもしれません。ED16に関してはED16の部屋にすでに載せていますので、ここでは数枚しか載せていません
クハ79459以下の4連。全てクハ79+モハ72+サハ78+クモハ73という編成でした。
稲城長沼でED164。後ろに電留線に止まっている増結編成の73が
見える。
写真の片隅に移っているのは一緒に行った鉄研の仲間です。
クモハ73622 」左の稲城長沼引き込み線のある踏切で。
以降は梨の花が咲いた時期に稲城長沼で写真を撮りました。
稲城長沼電留線。立川⇔稲城長沼間は4連しか入れず、朝夕の混雑時には稲城長沼で6連のうち立川側2連を切り離していました。
この為昼間はここに数編成が休んでいました。
左記クモハ11244を連結した4連。残りは73系
稲城長沼の川崎側に写真のとおり千代田多摩倉庫の引き込み線がありました。私が大学に通い始めてから作られた引き込み線で、午後学校の帰りに、ED16が入替えをしているのを何回か見ました。踏切にだいぶ土が入っていますがこの当時はまだ現役です。
どこで撮ったのか記録がありません。この写真が武蔵中原行きなので、川崎武蔵中原⇔川崎間である事は間違えありません。おそらく武蔵小杉⇔武蔵中原間だと思います。
ED1614