鉄道風景
メイン

伊万里から筑肥線経由で山本から唐津線に入り多久に行きました。
なぜかお昼に伊万里でカレーライスを食べたことが強烈に記憶に残っています。

多久駅待機中 下り貨物8765レ(79605)

次へ進む
No.2に戻る

多久→厳木間 下り貨物763レ(69610)。重連のはずだが単機牽引でした。

下り629レ暑いのでオハユニ61の扉が開いている。

下り629レ C11254+オハ35+オハユニ61+・・

627レ発車 次位の客車はオハフ61324

翌日624レ(C11254牽引)で今福まで行きました。この列車は機関車の調子が悪かったのか、各駅間にある峠で空転を繰り返しついに今福の手前では止まってしまいました。この様な事は良くあるようで、ダイヤには余裕があり、遅れはほとんど発生していなかったようでした。今福では乗って行った624レと627レ(48676)が交換しました。

潜竜にて下り327D  佐世保から潜竜まで乗ったディーゼルの折り返し。

平戸口にて下り941レ19時台だがこの時期この付近では19時でも撮影可能でした。松浦線ではこの1回を除いて他のの機関車はすべて門デフでした。

上り632レ C11254 江迎-潜竜

下り637レ C11260 江迎-潜竜 雨はやんだが暗くてスローシャッターしかきれない。この為列車が流れている。

その後大村線経由で佐世保へ行き、松浦線に入りました。
佐世保では松浦線用のC11254と48647が迎えてくれました。この2両は以降松浦線内で何回も顔合わせることとなりました。
潜竜で降り86の貨物とC11の客車取りましたが6×6主体で35mmではまともな写真はありません。
その後平戸口へ行き予約していた旅館に泊まりました。

佐世保にて629レを引いてきたC11254

佐世保にて48647

下りあけぼの1号DD51の次にマヤ20が付いている。

下り323レC57牽引(車番は読めない)

翌日喜々津で降りて海沿いで撮影しましたが、朝早く大雨で暗くまともに写っているのはこの2本だけでした。

新幹線は新大阪まででしたのでそこからは門司まで特急はとに乗継ぎました。
門司からは門司港に戻り長崎行の夜行鈍行に乗りました。後で名前がついて”ながさき”になったこの夜行鈍行は、B寝台を取ったが、発券機で直接予約できず電話で予約を取ったのを覚えているます。

今福から伊万里まで乗った上り
628レ(C11260)

No.2に戻る
次へ進む
鉄道風景
第7回 九州1(松浦線・唐津線)
メイン

昭和46年8月に高校の友達M君と九州に行きました。その当時の私の通った高校(私立)は今から考えるとかなり閉鎖的で、高校生2人で旅行(鉄ちゃん)するのは許可できないということで学割りがもらえず、M君の親戚へ行くということでやっと許可が出た事が印象的に残っています。
日程は長崎本線→松浦線→唐津線→鹿児島→豊肥本線・高森線→筑豊本線→田川線→日豊本線→肥薩線という日程でした。
今回はその1で唐津線までを出します。
当時の松浦線は客車・貨物共蒸気機関車が主体で、海あり峠ありで合理化される以前の素朴な素晴らしい姿を保っていました。
ここには次も必ず来ると心に誓っていたのですが、残念ながら翌年には合理化されてしまい再訪することなく終わってしまいました。
しかしながらわずか1日程度ですが蒸気機関車が走っていた合理化以前ののんびりとした松浦線を経験できたことは幸運だったと思っています。

上り626レオハニ61の扉がやはり開いている。

門司まで乗った”はと”

クロハ181-4 パーラーカー下はモロ181-9

上り8764レ(79605) 多久-厳木間

上り790レ 多久-厳木間

今福で628レと交換する下り貨物691レ(48647)

多久→厳木間 下り貨物763レ(69610)
左写真の続き。