ED16の部屋
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ED16という電気機関車は私学生時代4年間通った南武線を走っており、立川のホームに降りると必ずと言っていいほどホームから1つはなれた貨物専用線に止まっている日常的な景色の構成物の1つでした。
姿も一般的な国産電気機関車の形態であり、多少古めかしくはなっていましたが、派手ではなく地道に貨物列車の先頭に立ち石灰を運んでいました。地道すぎるためかあまり注目されることなく、私が写真を取っている期間、御同業者に会った記憶がありません。
写真を撮ったのは昭和46年から51年のほぼ6年間ですが、その後もしばらく働き続け最終的にEF64におきかえられました。今では鉄道による石灰の貨物輸送自体がなくなっています。
ネグラは西国立の機関区で、18両すべてが在籍して活躍していました。但し17号機は私が写真を撮っていた時期に事故にでもあったのか、休車となって走っておらず写真がありません。その後の写真を見ると17号機が元気に活躍している写真があり無事復活した様です。

西国立機関区ED16 8・11・1・12・14・13・5 の7両が確認できる。

青梅の奥は一転、多摩川と山に囲まれた渓谷を這う様にして走っていた。奥多摩から京浜工業地帯まで多摩川に沿っており、ほぼ一方的な下りとなっていた。この為石灰を積ん重くなった上りは下り勾配一方でありさほど力は必要なく、下りは上り勾配でも空車になっているため比較的容易に貨車を奥多摩に戻すことができるようになっていた。
線路が貧弱であるとともに重たい貨物を持ち上げるあげる必要がなかったため、重連運用などは全くなく列車本数を増やして必要な輸送量を賄っていた。

右にEF1013があり比較すると、縦に長くずんぐりむっくりした印象を受ける。EF10と比較してさえ、かっこいいとはいえない。
そこが人気のなかった理由か?

青梅から下は都市化が進み、田園と混在した写真にならないつまらない景色の中を、茶色のゲタ電(73系)にまぎれて淡々と走っていた。(南武線矢川にて)但し本数はあり別にダイヤを調べなくても1時間に数本は撮影できた。

下の道は奥多摩街道。街道沿いの集落を見ながら進む。まだ茅葺の民家が残っている。

* タイトルか写真をクリックするとそれぞれのページに移行します。 *

ED161-5
ED166-11
ED1612-18

貨物は石灰輸送が主だったが、一般貨物と航空燃料輸送の一部運用があった。

青梅線・南武線。五日市線では73系電車の合間を縫って運用されていた。

一般貨物が石灰貨物に追い抜かれる。

梅の季節 青梅線は字の通り梅が多い

立川基地の近くの倉庫と市営住宅に挟まれた昭和の風景を行く。

多摩川を見ながら線路は走る。

ED161 沢井−御岳

ED1615 沢井‐御岳

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